幸せは自分が蒔いた種から生まれ、悪い種は反省しなければ自分を苦しめ続ける

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幸せって何だろう?誰でも思うでしょうね。一般的にこれが幸せになる条件など、誰でもこうなれば良いな~という幸せはあります。

容姿端麗に生まれて、頭脳明晰で、お金に恵まれて、運動神経も良く、地位や財産が出来て、人から称賛されて社会的な名誉を得たりする。

良い伴侶に恵まれ、家族仲良 く、友達にも恵まれて、やることなすこと順風満帆な人生なら、幸せを絵に書いたような人生ですね。

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その上、好きな時に好きなだけ好きなことができる状態なら、人も羨む幸せな状態ですね。

でも、そんな人である確率は低いと思います。何故なんでしょう?表面だけで見ると不思議な気がします。

人間は、偶然に生まれてきたのなら、こんな理想的な人生を手に入れることは比較的に可能だとおもいます。

完璧な人がこの世に生まれる必要がないのです。

元々、人間は誰でもこんな絵に描いたような幸せを持ち合わせていないし、仮に幸せだと思っても「絶対的に消えない幸せ」ではないですね。

それに幸せを失うことへの恐れと、不安と恐怖と執着に繋がります。

人間は肉体を持って産まれた以上、「生老病死」や「愛別離苦」という「苦」という状態の壁が立ちはだかります。命のある動植物は必ず死にます。

人間は、体を保持するために、衣食住を満たすことが必須条件である。そのお金を得るために苦労をしたり、人間関係に苦労したり、様々な体験をして色んな思いを体験します。

ひとりひとり違った人生を送り、違った考え方をして、違った生活環境があります。

やがて、老い容色や肉体が衰え、物忘れや思考能力の衰えなど、老いによるダメージは、時期の違いや、程度の差はあるが、決し て避けられないのが恐怖ですね。

また命に係わる病気や事故、肉親との死に別れ、生活苦など、人間関係等々それぞれの人生の苦労の種は実に色々であり、世の中に苦労の種が満ちている有様です。

地球の始まりから人類の誕生から何億年も経て体験しているのに、何故、誰もが幸せな人生を送るシステムを、作ることが困難なのかと思ってしまいます。

だが何事にも原因があるから結果が生まれます。人間は偶然に生まれたものではなく、人は真っ新の状態で生まれてくる訳でもなく、前世で蒔いた種があるのです。

その種は自分が蒔いた種であり、原因と結果の法則により、良い種を蒔けば良い結果が、悪い種を蒔けば、 悪い結果が生まれて来るものです。

種は原因であり、自分が蒔いた種は自分で刈り取らなければならない、原因と結果の「因果の法則」があります。

どんな人にも欲望がありますが、人間の欲望はひとつ叶えても次が欲しくなり際限がない。持てば持つほどもっと欲しくなり、もっともっと…人よりも勝ちたい。

誰よりも自分が幸せになり、より高級な品物を手に入れたい。誰よりも優位に立ちたい・もっと美しくなりたい・あいつには負けたくない・美味しいものをもっと食べたい・あれが欲しいこれが欲しい等…欲望にはキリがありませんね。

人間が持つ欲望による種(行為)が原因になり、それが様々な結果を生む。静かな水面に石を投げ たら、波紋が広がる。

様々な人々が、その水面に欲望の石を投げたら、波紋と波紋が干渉しあって「縁」に触れて、予想もできないほどの、不調和な結果を生み出している。

結果が原因を生みだして、その原因が、また新たな結果を生んで流転している。そのままでは永遠のループが起こって続いて終わりがない。

人間は、「過去・現在・未来」の三世を生きて流転しているのだ。このループから外れなければ、苦のループの種は永遠に続き自分を苦しめる。

良い種を蒔いた人が幸せのループになる。その功徳によって、この世で幸せに生きた人でも、傲慢になり己の魂を磨かず、人を小ばかにして生きていたら、悪い種を蒔 くことになる。

人生は修行なのだ。常に状態は変わるので、「諸行無常」であり、「常楽我浄」の道を探求して実践しなければ、永遠に「絶対なる幸せ」はやってこない。

だから、自分は人よりも恵まれて当然だとか、自分だけ不幸だとか人を羨むのではなく、自分が蒔いた心の種を反省して、幸せの種を蒔こう。本当の幸せを手に入れるまで。


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